コソ練の現場から。

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人生がまるごとオンライン化されていく。

ネットの世界に、自分を転写させていこう。

 

思いがけない形で背中を押され、弊社の事業も、オンライン化が加速しています。

今このタイミングで感じていることを、感じたままに記録しておこうと思います。

 

私個人の話になりますが、インターネットでの情報発信それ自体は、1998年の個人HP開設以来、いろいろな形で続けてきました。

一方で、それが本質的に何を意味していたのかを明確に認識し、自分の言葉で表現できるようになったのは、つい最近のことです。

 

なんとなく、うっすら感じていたとしても、それが意味することを明確に認識できなければ、人生で活用することはできません。

逆に、感覚的に理解してきたことを「自分の言葉」で認識できれば、明確な意図をもって、人生に生かすことができます。

遅ればせながら、ネットとの関わり方についてようやく、確かな土台ができたように感じています。

 

種まきと苗育てはこれからですが、現時点で言葉にできる部分を表現してみます。

 

◇-----------◇

2020年以降の「新しい生活様式」は、いろんな形で、一人一人の生活に浸透してきたことと思います。

そのなかで私がしみじみ実感したのは、今後ますます、オンラインとオフラインの区別がなくなっていく、ということです。

 

それは決して面倒なことではなく、喜ばしいことだ、と私は見ています。

大雑把な表現をするなら、「意図する人全員に、無限の可能性が広がる」ということですから。

 

たとえば、オンライン上で、自分の思いや考え、好きなことや興味があることを発信しておけば、共通の話題で楽しく過ごせる人と出会える可能性が高まります。

オンライン上に自分の情報を蓄積させておけば、リアル(オフライン)でわずかな時間しか一緒に過ごせなかった人とでも、そのあとの時間で、幸せな関係を築くことができるかもしれません。

 

リアルでの生活リズムや行動範囲では出会えない人に出会えるし、自分の生活リズムに合わせて、オンラインでの人間関係を育んでいくことができます。

一人一人が、リアルでの人生を楽しみつつ、同時に、自分のペースで、オンラインでの人生を楽しんでいけます。

 

こうした体験が、誰の生活にも起こりうる普通のこととして定着していくのは、間違いありません。

インターネットの黎明期から使用してきた人間からみると、シンプルにすごいことだな、と思います。

 

◇-----------◇

私が情報発信をはじめたのは1998年、「ぶどう狩り」をテーマに個人HPを開設したことでした。

WEB制作という言葉が、ごく一部の人にだけ存在していた頃のことです。

 

当時、たまたまご縁があって、ある社団法人のHP制作を手掛けることになりました。

HP公開後は、先方の担当者が運営していくことになっていました。そこで、専門的な知識がない人でも運営できるよう、構想段階から仕込みをすることにしました。

実際にHPを運営していく感覚を肌でつかむために、自分でもやってみることにしたのでした。

個人HPのテーマを「ぶどう狩り」にしたのは、我が家のマイブームだったからです。せっかくなら、自分が思いをもって語れる分野、かつ、ニッチでマニアックな分野を選びました。

 

1消費者でありながら、ぶどうのおいしさと種類をマニアックに語る点が農家にウケて、熱意あふれる素敵な方たちと出会うことができました。

当時はただ、「新しい技術が出てきて面白そうだから」と理由で発信していましたが、今になって思えば、私はインターネットの世界に、自分の好みや価値観を「転写」させていたんですよね。

 

私が開設したHPと、それをきっかけに生まれた人間関係のなかには、果物が大好きで、マニアックにぶどう狩りを探求している一人の人間が存在していました。

リアル(=オフライン)で生活している私のなかの、ある一部がネットの世界のなかで生きていて、周囲の世界に「働きかけて」いたわけです。

その結果、自分の好みや価値観に響きあう人と出会うことができました。

 

今思うと、当然のことが起きていただけでした。
今までなぜ気づかなかったのか、むしろ、そっちのほうが不思議です。

 

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インターネットで起こることの「本質」が等身大に見えてくると、自分らしい仕事やライフワークを実現するためには、どんな形であれ「発信」しない手はない、と思えてきます。

お仕事目的でなかったとしても、自分が心から幸せを感じられる世界で生きようと意図するなら、インターネットのなかに自分を存在させていく時間、そこでの人間関係を育む時間を「確保する」ことに、大きな意味があるように感じています。

 

そうすることで、自分が生きる世界に「リバレッジ」をかけることができます。

自分の一部を少しずつ転写させていくことで、自分という人間が、身体の行動範囲や肉眼で認識できる範囲をはるかに超える、インターネットの世界で生き続けます。

これは、特別な知識やスキルを持った人だけではなく、すべての人に開かれた可能性です。

冷静に考えると、とてつもない可能性です。

 

一方、私の目の及ぶ範囲を見ていますと、ネットでの「発信」について、あらゆる思い込みや概念を抱えている人が少なくありません。

発信が苦手・ネットとの関わり方がよくわからない…と言う人の話を聞いていると、とてももったいない時間の使い方をしているな、と感じています。

 

代表的なパターンは

・最初から拒否、関わらない
・ニュースや調べもの、娯楽で、一方的に見るだけ
・惰性で、延々と、動画やSNSを見続ける
・ネット上にあふれている珠玉混合の情報に触れて一喜一憂している

といったところでしょうか。

 

そんなふうに時間を使うのと、自分が幸せになれる情報に触れ、自らもそうした情報を発信することに時間を使うのでは、1年後の人生がまったく違うのでは?、と私は思います。

 

◇-----------◇

会員制有料コミュニティ・コソ練SNSを立ち上げるとき、「私自身が毎日見たくなるようなサイトを作ろう!」と決めました。

コソ練SNSはオンラインサロンではなく、心のシェアハウス。
発信の主体は、私ではなく、あくまで会員のみなさんです。

 

短期的に見れば、オンラインサロンとして、私がコンテンツを提供し続けるモデルの方がわかりやすいと思います。

でも、それには心が躍らなかったんですよね。

現時点では難しいチャレンジかもしれませんが、長期的に見れば、みんなと一緒にネット上の居場所を作り上げていくほうが、ずっと楽しいし、価値がある。

そう信じて、オーナーとして、コソ練SNSを育てる仕事にまい進しています。

 

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現時点で、どのくらいの会員さまが意識しているかわかりませんが、「書くこと」すなわち、自分の心のなかを、自分の目に見える形にすることには、計り知れない効果があります。

なかでも一番大きいのは、自分がどんな人としてそこに存在しているのかに気づき、意図をもって問い直せること、そうしたフィードバックに基づいて、自分自身のありようや「生き方」を、意図をもって再デザインできることです。

 

コソ練SNSには、意図をもって、お互いの生き方を育むことのできる人たちを集めています。

そうした場で、書くことによって、自分のありようや「生き方」をデザインしていくと、それを見ている人たちが、自然に後押ししてくれます。

なぜなら、私たちは、そこに書かれた内容を「その人だ」と認識し、「そういう人」として接するからです。

 

たとえばコソ練SNSで、ある人が、自分の作品や、それについての思いを発信し続けたとします。

それを見た人たちは、その人のことを「モノ作りが好きな人」「モノ作りが得意な人」と認識するでしょう。そして、そういう人として、接してくれるようになります。

仲間との交流を通して、その人は、自分と他の人の違いに気づき、自分にとっては当たり前のことが、他の人にとっては決して当たり前でないことを認識します。

その認識が、その人に自覚を促し、その人の「生き方」を育てていきます。

 

これは、現時点での「生き方」についても言えることですし、今後実現したい「生き方」についても言えることです。

つまり、「今後は、こんなふうに生きていきたい」という意図を語るだけで、さきほどと同じ現象が起こりえます。

 

私はこうした状態を、「生き方」が「生き方」を育てている、と表現しています。

 

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幸せな情報に触れ、幸せな情報を発信することで、互いの生き方がますます幸せに育つ。

私は、コソ練SNSがそうした場に育っていくことを意図しています。

そして、その意図に賛同してくださる方に、コソ練SNSを一緒に育てていってほしい、と願っています。

 

こうした私の意図も、ネットの世界に書くことで、育てていくことができます。

そのプロセスを見届けていくのが、私の楽しみでもあります。

 

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何かに気づき、明確に認識して言語化が進む時期は、感性という針が鋭利に研ぎ澄まされているように感じます。

やがて、自分が認識した世界に慣れていくと、それが自分にとっての当たり前になるので、わざわざ言葉で表現することはなくなります。

つぎに、針が研ぎ澄まされるのは、かつて認識しただけの世界が、実体験として現れ続け、腑に落ちる時期です。これには長くて数年から十数年かかります。

 

だからこそ、今このタイミングで言語化できることを、後で見直せるところに記録しておくことに、大きな意味を感じています。

こうした「生き方」ができるのもまた、インターネットがもたらした恩恵なのだと思います。

 

 

 

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